アフガニスタン絨毯の歴史的背景を学ぶ 1

サルール族のギュル初期の頃 アフガニスタン絨毯の歴史

 アフガニスタン絨毯では部族ごとに固有のギュル(紋章)がある。頻繁に目にするギュルは1サルール2エルサリ3サリーㇰ4ヤムート5トルクメンなどである。もちろんそれ以外の部族も存在する。それら部族がどのような背景でアフガン絨毯にギュル(紋章)を織り込んでいったのか?その歴史的な背景やギュルの意味について解説したいと思う。

引用元 turkmen_carpets_a_new_perspective_volume2

1 サルール族とソグディア人

 ソグディア人という名前は、1600年以上も歴史に登場していましたが、突然姿を消しました。この背景には、アラブ半島からもたらされたイスラム教と、中央アジアを支配するようになったトルコ人の影響があります。新しい支配者であるトルコ人が優勢になるにつれ、ソグディア人をはじめとする古代の地元住民(バクトリア人やホラズム人など)は消えていきました。

ソグディア人とトルコ人の関係
 ソグディア人は、商人や外交官として活躍し、トルコ人と中国、ペルシャ、ビザンチウム(東ローマ帝国)の間をつなぐ仲介役を果たしていました。これにより、ソグディア人とトルコ人の間には友好的な関係が築かれました。彼らはすでにトルコ人の支配下にありましたが、名前や文化を保ち続けていました。

ソグディア人の選択
 イスラム教の影響が広がり、トルコ化が進む中で、ソグディア人は新しい支配者であるトルコ人に統合されていきました。つまり、ソグディア人はイスラム教を受け入れ、新しい言語を採用することで、少数派として生き延びる道を選んだのです。ただし、古代の文化や織物の伝統を完全に捨てることはありませんでした。

織物デザインの継承
 トルコ人は新しい宗教であるイスラム教だけでなく、地元のイラン系文化や伝統的な絨毯織りも採用しました。その結果、ソグディアの織物デザインは完全に消えたわけではなく、トルクメン族、特にサルール族の織物に引き継がれました。

サルール族とソグディア人の関係
 サルール族の織物デザインが非常に保守的である理由は、ソグディア人のデザイン伝統をほぼそのまま受け継いだからだと考えられます。これは、ソグディア人が消滅したのではなく、トルコ人との統合を通じて彼らの文化やデザインがサルール族の中で生き続けたことを示唆しています。

結論
 ソグディア人は、イスラム教とトルコ人の影響によってその名前は消えましたが、彼らの文化や伝統は絨毯や織物デザインを通じて現代まで残っています。特にサルール族の絨毯デザインは、ソグディアの古代文化の痕跡を保存する重要な証拠とされています。

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